灰色の塔:2?2

「いいか、藍。魔物には二種類存在する。なんだか分かるか?」

「……食べられる魔物と……違うの」

「そのとおりだ。よくわかっているじゃないか。では次にその見分け方を教えよう。何、簡単な事だ。野生動物は生まれたばかりでも勘でその違いをよく知っている。いや、本来なら区別などと言う言葉にする事すら必要ない。見た瞬間わかるからな。いいか、食べられない魔物ってのは見ただけで食べられないとわかるものなんだ。それが生物としての本能ってもんだ。蟻だって兎だって犬だって熊だって竜だって知ってる。人間だって知ってる。それなのに何故藍にこんな風にわざわざ言い聞かせているかわかるか? 藍はもう子供じゃない。色々教えてやったのは何故だ? もう知らなかったじゃ済まされない。わかっているのか?」

「……うぃ」




■■■■■■




 藍は、両手で持った骸骨をしばらく見つめていたが、意を決したようにそれを口元に持ってきた。
 コリコリと齧る。かなりの硬度を持つ筈の黒雷精の核、大抵の刃では傷一つつけられないはずの結晶は、徐々に削られていく。

「……余りおいしくない……」

 味がしない上に、すこしずつ舌が痺れてくる。
 なるほど……やっぱり黎の言う事は正しい。食べられないものは食べられないのだ。確かにこの獲物は藍が見た限りでもどう見ても食べられそうなものではなかった。だから、無理やり食べたとしても美味しくない。
 かつて教えられたサバイバルの基本を思い出しつつ、藍は改めて少年に尊敬と慕情を深めた。
 教えてくれた意味がなくなっているのだが、そのような事は藍の関知する事でもない。藍はもともと、何でも口に入れて確かめてしまうというどうしようもない悪癖があり、それは一年やニ年で治るものでもない。そのことはもちろん、黎も知っていた。だが一応言わざるを得なかった黎の考えとそれに対する虚しさは誰にも推し量れるものではないだろう。

 美味しくない。もう食べたくない。
 だが、いくら不味くても一旦口に入れた者を食べないのは流儀に版する。
 藍は覚悟を決めるとだいぶ削られた黒い髑髏を口の中に一気に放り込んだ。
 つま先から頭の先まで奔る細かな痺れ。口元から漏れる静かな吐息。
 衝撃に酔ったようにふらふらと覚束ない足元で柱に手をつく。

「……いい」

 口から出たのは、後悔の言葉ではなくこの"食べ物"に対する賞賛だった。
 美味しくはないが刺激がある。
 初めて味わう感覚に、藍は陶酔した。空腹さえ忘れてしまうほどのショック。
 藍のスキルの真髄はあらゆるダメージへの加護にある。
 そしてそれは、外側だけでなく内側からのダメージにすら鉄壁の守りを発揮する。
 それ故に、藍は腹を壊したこともなければ、風邪にかかったことも、嘔吐するといった経験もない。
 だからこそ、その物質に興味を抱かざるを得なかった。
 それが本来触れただけで一瞬にして対象の命を奪う高密度のエネルギー体だったとしても、せいぜい舌を痺れさせるのがやっと。
 だが、それでもそれほどのダメージを今まで内側から藍に与えたものはなかった。
 
「……お土産に……しよう」

 そうだ、それがいい。
 躊躇なくその十個余りの塊を袋に入れる。
 これはいいものだ。いいものを拾った。
 美味しくはないけど楽しい。きっと珍しい物をもらったと喜ぶだろう。もしかしたら撫でてくれるかもしれない。抱きしめてくれるかもしれない。

 例えそれが――



 目的の物ではなかったとしても。






「あ……だ。そうだ……った」

 そこで藍はようやく重要な事に気づく。
 ふらふらしていた足元が、一瞬で普段の状態に戻る。まだ微かに残っていた眠気が吹き飛び、完全に藍の身体は覚醒した。
 口の中の物をしばらく名残惜しげになめていたが、一気にそれを噛み砕いて腹に納めた。脳天を突き抜けるような痺れも、今はただ藍の集中力を乱すだけの邪魔なものでしかない。
 陶酔感が吹き飛び、いつもの感覚が戻ってくる。そうだ、こんなことをしている場合じゃなかった。
 いつもの藍なら何をやっていても問題はない。縛るものは何もない。殺すも食うも寝るも好きにしていい。だが今だけは駄目だ。
 何度も数え切れないほど繰り返した動作でダッフルコートを身に纏う。欠片の入っている袋を無造作にポケットの中に突っ込む。
 周囲に他の荷物はない。食料はその辺で狩れるし、最悪食べなくても一年くらいなら生き延びられる。実際やったことはなかったが、それは恐らく実際試すよりも確実な事実だった。飢えという自身からの脅威にさえハイスキルは等しく加護を与える。

「だから、私は……負けない!」

 自身を高ぶらせるための言葉。物心ついたばかりの記憶から知っていた高揚。熱が身体を覆い、同時にその透明な瞳に小さな炎が灯る。
 そうだ、遊んでいる場合じゃなかった。

 武を持って真価を示せ。

 藍の顔に一筋の赤の液体が垂れる。
 床に落ちた一滴の真紅の液体。血液。それがスイッチであるかのように、腕から脚から顔から首から次々の血液が流れ、足元に血溜りを作った。
 しかし、その中心である少女は何ら変わった様子はなく、血を拭う事もなく、視線を前に向けた。右手に包丁。左手に小さな袋を持って――

 血の臭いに誘われたかのように、一つの巨大な気配が闇の彼方から現れる。

「標的はあれだ……核。核だって……言ってた。大丈夫、全部殺せばいい。殺せばいい。殺せばいい。どれかひとつ位当たるはず。百匹千匹殺せば一匹くらい当たりが――」

 接近してきた体長三メートルもの猪の形の魔物をすれ違い様に、無意識の内に斬りつけた。
 絶叫すら上げる間もなく真っ二つに分かれる魔物。巨体が崩れ落ちる轟音と散開するどこまでも黒い血液。
 魔物の血を浴び、藍はゆっくりと人差し指で唇をなぞる。包丁を握った手の平には何の抵抗も残らない。それほどまでに絶対。

「……違う。これは違う。美味しそうだけど……違う……」

 金の瞳にはもはや今殺したばかりの魔物の姿は写っていない。
 それは、闇の先を見つめていた。もとより、藍は自身の狩った獲物について頓着などしない性であり、また別に目標があるなら尚更だ。藍の腕がふらふらと揺れる。武術の達人が見ても隙だらけのその体勢。身体運び。

 血に誘われたのか、無数の犬のような生き物が藍に向かって音もなく接近する。
 その脚は、藍から三メートル離れた所――先程の猪が崩れ落ちた当たりでぴたりと止まる。

 藍は、

「違う。あれは違う。絶対違う。わんわんだ。知ってる。多分違う。でも可能性は……ある?」

 たった今崩れ去った猪に顎を突っ込み貪る狼の魔物【白狼】の群れ。
 常に群れで行動するこの魔物は、その数の差が大きければ大きいほどその恐るべき存在と化す。その知性は野生とは思えぬほど高く、その行動は理にかなっている。現在もメンバーのほとんどが猪を腹に納めるのに夢中になっているにも関わらず、数匹の白狼が、その鋭い視線で藍を見つめていた。いや、咀嚼するその様子すら演技なのかもしれない。その生態を知るものがこの場にいたら、それは明らかに敵の油断を誘う高度な作戦だと言い切っただろう。

 藍はその様子をしばらく首をかしげながら見ていたが、一度頷くと包丁の切っ先をこちらを睨む一際大きな体躯の白狼に向けた。
 両者の距離は約三メートル。だがその程度の距離、双方に取って意味のある距離ではない。コンマ一秒あれば藍はその魔物を真っ二つにできるし、白狼からしても一秒あれば距離を完全に詰めることができる。互いに互いの喉元に刃を突きつけているような、そこは既に死地になっていた。

「行きます」

 風一つ吹いてないのにお気に入りのダッフルコートがはたはたとたわめく。隙間から垣間見えた筋肉のついていない華奢な脚が床を砕く。肌と衣類に微量に纏わり付く光の粒は戦神の効果だ。藍はその瞬間紛れも無くこの世に生まれ落ちた神の一人だった。

 藍は、生まれたときから絶対だった。
 武勇もなく戦技もなくただ絶対。最強無比にして孤立無援の戦姫。たった一人で群を下す最強の覇王。その剛腕で知られた武士も遠く彼方まで評判轟く魔道兵器も卓逸した指揮により一個体のような水際だった動きをする軍隊も全てを微笑ながら殺し尽くせる殺戮の神。

 太刀筋は神速にして何者をも見ること叶わず。
 ただの包丁は神の力により伝説の剣をも上回る切れ味を体現し、その切れ味は無数の生命を屠って尚落ちることはない。

 外の世界で脅威度Aクラスと認定された魔物の群れがただの肉となり転がるのに時間はいらなかった。
 勝敗は藍が踏み込んだ時点決していたといってもいい。丈の短いスカートから伸びる脚は何者のものかもわからぬ血で塗れ、その様は阿修羅に相応しいものだ。また、見た目が可憐な少女だから余計始末が悪かった。撥水性のコートを羽織ってさえ全身血まみれの体躯とその黒髪から覗く金色の瞳を見て彼女を恐れずにいられる存在がいるかどうか。

 唇から垂れる血をぺろりと舐める。
 口に広がる味に、藍は唾液を飲み込んだ。遥か先に存在だけは感じていた魔物の気配が静かに後退する。追いかけるべきかどうか迷い、結局藍は今はこの場に留まることを選択した。どうせ血の臭いを振りまいて歩けば敵はいくらでも寄ってくる。それが藍のいつもの狩りのスタイルだ。
 自身の身体にダメージはない。体調も十全。このまま追いかけても何ら問題はなかったし、恐らく楽に追いつけたはずだ。だが、藍にはまだ確かめる事があった。

 肉片に変わった無数の白狼の死体をじっと見つめる。しばらく長靴のつま先で死体を突っついたりしていたが、すぐに肩を落とした。

「核……やっぱり違う。あるわけない。わんわんは……美味しいだけ」

「お腹空いたけど我慢しなきゃ……お使いだし」

 一瞬流れそうになった涙を堪え、自分を鼓舞し、先を見据えた。心を強く持たなければ肉体的には最強でもあっという間に闇に飲まれる。一度経験した事だった。
 回廊の内部は広く深い。その行先は灰色の塔と言う魔境の住人にとってさえ辛く苦し旅だ。今現在は地下三階。既に入ってから三日の時が過ぎていた。


「核……核……核って……何?」


 藍が先程かじっていた"されこうべ"が、目的の核だとは気づくことは果たしてあるのか。
 無理やりに詰めたポケットの中で、黒の髑髏はからからと哂うかのように音を立てていた。
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