第五十七話:黒紫色の理想

「シーン様、悪魔の軍勢がルートクレイシアに向かって進撃を始めているという報告があがりました」

「ん……あー……ん? ん、ああ……え?」

 唐突な報告だった。
 あまりに焦りのない口調に初めに耳を疑った。

 自慢だが、俺の耳はいい。すごくいい。その事に絶対の自信を持っている。
 にも関わらず、俺は一瞬その言葉が何かの間違いであるかのように感じてしまう程に、あまりにその口調に緊張感がなかった。
 まるで今日の天気について話しているかのように。

「数はおよそ五千から六千。高い飛行能力を持つ翼竜型、地上での移動能力に優れた獅子型の混成軍です。移動速度は極めて高く、三十分もあれば最も近い村まで到達するでしょう」

「へー」

 仏頂面でシルクが報告する。
 ならば、と棒読みで応える。やる気ねえなこいつ。

 しかし……三十分か。そりゃ早い。電撃作戦だな。

 報告が間に合ったこと自体が奇跡に近いだろう。
 悪魔はベースの形によって大体の戦闘能力が決まる。竜と獅子ならその戦闘能力も相当なはずだ。少なくとも碌な防衛能力を持たない村など数瞬で消し飛ばされる程度には。

 本当に久しぶりだ。向こうから攻めてきたのは二年ぶり二回目か。
 久しぶりでも全然嬉しくないのだが。

 膝の上でぐでーっとだらしなくたれているアンジェロの黒髪を撫でる。
 手を動かすとその度にアンジェロが艶めかしいうめき声を上げる。
 誤解のないように言っておくが、俺はまだ何もしていない。
 最近は何もしてないのにこんなのばっかりだ。

「ん……あぁ、しーん様ぁ、もっと、もっとおねがいします」

 物欲しそうな声は完全に溶けていた。

「悪魔……悪魔ねぇ。おいアンジェロ、お前武官なんだから、ちょっと行ってぶっ殺してこい」

 アンジェロの動きが一瞬止まるが、何事もなかったかのように無言で頭をぐりぐりと胸に押し付けてくる。
 宥めるように頭を撫でた。

 ここしばらく放っておいたせいか、言う事を聞かない。

 その挙動からは珍しい事にやる気が一片足りとも感じ取れず、シルクがじどっと湿度の高い視線で垂れアンジェロを見下している。

 無理ない事だ。
 元々国防は武官の重要な役割であり、報告も本来ならシルクではなくアンジェロがやるべき責務だ。
 公私はきっちりつけようや。社会人だろ。

「……シーン様、遊んでないでさっさと片付けていただけませんか?」

 シルクが非難するような目つきで俺を見る。
 おいおい、まるで俺がサボっているかのようじゃないか。

「んー……そうだな。翼竜型と獅子型じゃ別に生かしておくメリットもないないだろうし……それに……アンジェロ? そろそろ報告してくれないか? 何かあるんだろ?」

「……もうちょっと、もうちょっとだけ、いいですか?」

 あ、ちょっと正気に戻った。

「ああ」

 思わず許可してしまう。

「ありがとうございます」

「ああ、じゃないですよ! ああ、じゃ! アンジェロもいい加減にしなさい!」

 シルクが切れた。

 無理やりアンジェロの腕を引っ張って引き離そうとする。
 アンジェロが剥がされまいと俺の胴に腕を回す。
 力自体はアンジェロの方が強いわけで、シルクが全力で腕を引っ張っているが、全く歯が立っていない。
 
 やれやれ。
 遊んでる場合じゃないってのに。
 もうちょっと真面目に考えて欲しいところだ。

 アンジェロの髪を手櫛で梳きながら、遠視の術を唱えた。
 視界が分割され、上空に飛ぶ。
 遥か地平線の彼方に黒い霧のようなものが見えた。
 視界をその方向に飛ばす。あっという間に形がはっきり見れる距離まで来た。

 あー、めんどくせー。

 アンジェロの頭をぐりぐりと撫でる。アンジェロが嬉しそうに顔を押し付ける。
 俺はこんなにも平和を愛しているというのに……

 視界を少し絞る。怒涛の速度で進撃を進める悪魔の醜悪極まりない顔かたち表情がはっきりと見れた。
 悪魔は大体黒い。とにかく黒い。低レベルの悪魔程黒い傾向にある。
 強ければ強いほど別の色が入る。一番色に富んでたのは魔王時代に遭遇したおっさん型の悪魔だった。名前はなんて言ったかな……ペ……ペ……ペリアル……だったっけ? 
 ペリアル。ああ、そうだ。ペリアルだったような気がする。いい線いってるような気がする。
 天使の方は覚えているんだが……悪魔はおっさんだったからなあ。

 翼竜型と獅子型は悪魔の中ではそこそこの位にいる。
 だが所詮は数で攻めてくる程度の悪魔。有象無象に過ぎん。
 小さな村ならともかく俺と戦うには『闇耐性』が足りていない。
 襲ってくるなら消すだけだ。

 そして俺は、特に何の感慨もなく、久しぶりに力を行使した。

 多重詠唱『EndOfTheWorld』

 口内に小さな熱が奔り、つつーっと一滴の血が唇の端から流れる。

 対象は数千の悪魔。高速で移動中だが、動いているなら進行方向全てを対象に殲滅するだけだ。
 地面に光の点が無数に発生し、点滅する。地を疾走する獅子型がそれに気がつくが、気がついてももう遅い。密集して疾駆するその陣形は俺に殺してくださいと頼んでいるようなものだ。

 そして、数秒持たず、破壊が発生した。

 悪魔の数がまるで消しゴムで落書きを消しているかのように減っていく。
 その絶命の音は数百キロ離れたこの地までは決して届かない。
 もともと音なんてしないけど。

 点を置く。点を置く。点を置く。
 直線上の敵が消える。消える。消える。
 それの繰り返しだ。黒いクレヨンで絵画を塗りつぶすかのように造作もない事だ。
 痛みすら感じていなかったに違いない。
 数分もせずに悪魔の軍が綺麗サッパリ消え去った。
 黒い軍勢はもはや一匹たりとも残ってない。
 先ほどまで砂埃を上げて走っていた平野には、もはや静寂しか残っていなかった。

 飛ばしていた視界を閉じる。
 ゴミみたいな経験値が入ったのを感じた。
 一息つく。減った魔力はすぐに全快するが、心臓がやや鼓動を早くしている。

「おい、アンジェロ」

 俺の言葉でアンジェロとシルクの動きが止まった。
 アンジェロは両腕で俺を捕まえままで。
 シルクはアンジェロを引っ張ったままで。

 アンジェロが顔をあげ、その視線が俺の顔をなぞる。そして、唇の端で止まった。
 シルクが先ほどまでとは打って変わった険しい表情で俺の顔を見つめる。

「……シーン様、それは……」

「舐めろ」

 血がゆっくりと顎を伝わり垂れる。
 アンジェロは、ぼうっと魅せられているかのようにそれを見ていたが、やがてゆっくりと顔を近づけた。





第五十七話【死神とターゲットの話】






「いい加減にしろっ!! 一体貴様は何をしたいんだ!」

 わなわなと震えるような怒鳴り声が部屋を揺らした。
 身長は二メートルを超えているだろうか、大きく盛り上がった筋肉に、つり上がった目つきと額を一直線に分断する深い傷跡を持つ禿頭の男だった。その顔は人族とは思えないほどの凶相で、その巨体と合わせて道を歩いていたら誰もが道を開けるだろう。

 怒りに顔を真っ赤にした様子は鬼もかくやで、だが、私には彼が怒り以上に恐怖を覚えている事を確かに感じていた。
 汗の匂い、心臓の鼓動、呼気に至るまで、それは怒りで隠匿せざるを得ない程に巨大な恐怖の匂いを伝えており、そのひきちぎれんばかりに皮鎧を圧迫する肉体も見かけ倒しにしか見えない。

 何となく分かる。
 世界が私に教えてくれる。
 こいつもこの世界に発生した忌むべき敵だと。血が思い出したかのようにざわざわと騒ぐ。
 自身のステータスを確認する。
 既に一時間はたっているはずだが、ステータスは行動不能のままだった。

 男の正反対に座しているのは、男と比べて頭二つ分は小さい優男――先ほど私が狩ろうとして失敗した冒険者、グレイス・フォースフィールドだった。二人を並べるとまるでグレイスが恫喝されているかのように見えるが、グレイスの方が大男と比べればまだ冷静だ。
 それでも落ち着かなさげに足元をこつこつとつま先で叩いているのが見える。

「よりにもよって、『Killing Field』だと!? なぁ、グレイス。お前がいったんだよなぁ? あぁ!? あの糞野郎には手を出さないと! 貴様は自殺志願者かぁ!?」

「……僕だって予想外だ。まさか彼女がシーン・ルートクレイシアからこのタイミングで開放されるなんて……そんなシナリオ……知らない」

「知らないで済まねーよっ! どうすんだよ、連れてきちまうなんて! 奴はまだ生きているんだぞ!? ばれたら……絶対に殺される!」

 男が壁に磔になった私を恐怖の混じった目つきで見る。
 その視線は私を見ているようで、私を見ていない。
 その視線は確実に、私を通りぬけて私の背後にいる『彼』を見ていた。

 ズキリと頭が痛む。
 頭の奥底に釘を打ち付けられたかのような激痛。
 今度は悲鳴を何とか飲み込む事ができた。
 喉がひくつく。

 考えてはいけない。気づいてはいけない。

 ――シーン・ルートクレイシアが生きている事の矛盾に。

「……落ち着こう。とりあえず今しなければいけないことはまず、冷静になる事だ。死ぬ時は――どうせ死ぬ。最悪KillingFieldを逃がして全速力で逃げればさすがに追いつかれないはずだ。僕達はまだ彼女を傷つけていないし、シーン・ルートクレイシアは僕達の事をまだ知らない」

「傷つけるぅ? 傷つけないぃ? んな事この世界じゃ関係ねー気休めにもなんねー戯言だろーが。あの野郎は、俺がKillingFieldの視界に入ったことを知ったら、間違いなく……俺を、殺す。死ぬ……死んじまう……せっかく――第二の生を手に入れたというのに」

「ばれるわけがない。落ち着け、フォーゲル。バレたとしても闇属性抵抗を95%まで上げれば最悪『EndOfTheWorld』による不可避で不条理な死は防げる」

「どうやって上げるんだよ。全財産はたいても揃えられたのはせいぜい50%だ! そりゃ、グレイスは初期属性で抵抗があるからいいかもしれねーが、俺じゃ夢のまた夢だ。レベルなんていくら上げたって関係ねー。くそっ、こんな事なら冒険者なんぞになるんじゃなかった……!!」

 フォーゲルという名に聞き覚えがあった。
 確かギルドの有力冒険者のリストにあったはずだ。
 一般公開していたから私にも閲覧できた。記憶を探る。目的の情報はすぐに見つかった。

 Aランク冒険者。フォーゲル・フォアード。
 人はおろか種族的に優れた筋肉を持つ獣人などの亜人をも超えた怪力と、凄まじい耐久性を持つ重戦士。
 その随一の頑強さに比例した凄まじい重量を持つアダマンタイト製の全身鎧を纏い、巨大なタワーシールドを装備してなお軽やかに動く巨体はまさに重機と等しく、数多の悪魔を粉々にしてきたであろうその武と栄誉は冒険者の中でも上位千人しか載らないリストに載るだけの事はあるのだろう。

 だが、そんな英雄というに相応しい武力を持った男もがたがたと震えている。
 まるで一般市民が悪魔に運悪く遭遇したかのように。

 首にはめられたチョーカーに触れる。
 真っ黒なチョーカー。シーン・ルートクレイシアがにやりと笑みを浮かべて私の首につけた隷属の証に。
 当初刻みつけられていた隷属と探査の力は既に無い。今のこれはなんでもないただの革製のアクセサリーのはずだ。

 滑らかな皮の感触。
 アクセサリーだと言い訳している。これはただの首輪だ。
 奴隷の焼印と何ら変わらない『物』だという証。

 触れていると指先が冷たくなる。
 断続して脳内に湧き上がるフラッシュバック。恐怖と、憎悪と、そして官能の日々。
 手がかつての日々の事を思い出しあらゆる意味でがたがたと震える。
 グレースとフォーゲルを殺さなければいけないという意志がすーっと冷たく引いていき、新たな感情に塗りつぶされそうになって、私は自分の舌を思い切りかんでそれを思いとどまった。

 目の前にいないまだ見てもいない敵に恐怖するフォーゲルの事を愚かだなどとは思えなかった。

 だって私は、まだこれを、外せないでいる。

「状況は悪いがまだ最悪じゃない。最悪はシーン・ルートクレイシア本人に見つかる事。それ以外は些事にすぎない。どうせこの世界じゃ死ぬ時は死ぬ。そうだろ? フォーゲル」

 グレースが問いかける。まるで自分に言い聞かせているかのように。感情を押しとどめているかのように、平坦に。
 フォーゲルがその言葉に息を落ち着かせるように深く吐いて、椅子に腰をかけた。頬を伝う汗を腕で拭い去る。顔はまだ真っ青なままだが、自分を落ち着けようとしている事は分かった。

 強い。

「はぁはぁ……その通りだ。俺が悪かった……冷静になろう。ここには少なくともあの野郎はいねえ。問題はこれからどうするかだ。何か案はあるのか?」

「とりあえず現状把握からいこう」

 グレースが、壁一面にかけられた黒板に近づいた。
 ダンジョンの攻略時に作戦会議などに使用するそれは、今は真っ黒なままだ。
 白いチョークを取って真ん中にそこにシーン・ルートクレイシアと書き込んだ。

「まずゲーム知識からまとめる。認識違いがあればその都度言ってくれ。シーン・ルートクレイシアは魔術師型のシステマの一人だ。時期にもよるが、システマの中でも最強の資質とレベル、地位を持っていてそれ故に彼関係のイベントも多い」

 ゲーム知識。
 本能がぴりぴりと刺激される。私にはその単語が何を示すのかわからないが、彼が消すべき存在である理由が何となくわかった。
 それは人間が知ってはいけない事なのだ。

「性格は知っての通り、四十八ある性格の組み合わせから三つ選択される。ゲーム設定では彼は女好き、戦闘本能、怠惰の三つが選択される。これは最初にあるものが最も強く出て、後ろに行く程あまりその側面がでなくなる。最も、AIである以上これ以外の性格がないというわけでもない。この三つは大まかなものだ」

「ああ、そこまでは認識に相違ねえ。女好き故にヒロインを片っ端から奪い、戦闘本能故に外的を片っ端から排除し、怠惰故に自分の領外の事にはあまり興味がない。最低だ」

 確かに最低だ、と思った。
 細部には意味の分からない単語が出てくるが、大まかな内容はわかる。

「資質のクラスはS――これはレベルアップ速度に影響する。EからSSSまで存在していて、単純に高ければ高いほど強い。メインスキルは闇魔術適性、カリスマ、直感の三つ、これは個人の戦闘技能と国家運営力に影響する。ユニークスキル、これはレベルが600を超えた者に与えられる特殊スキルや種族特有のスキルを指すが、これは魔力回復速度促進。そして初期保持ユニットは大体百から百五十、これは対国家戦で動かせる兵数を示している。進行具合によってこの数は上下するが、この数は他国に比べても断トツで低い」

 そういえば、あの屋敷には人数がほとんどいなかった。
 彼に監禁されていた時期が長いのもあるが、それにしても人数が少なすぎた。

 思考しながらも、腕をくいくい動かす。もう二時間近く過ぎているのに行動不能の効果が解けない。
 束縛系の魔術による行動不能は封印などと違って一時的な効果のはずだ。
 上書きされたわけでもないのにここまで長く効果が続くのは不自然だった。

「そのせいで初期プレイヤーは対国家戦でルートクレイシアを襲い、わけも分からず死んでいった。シーン・ルートクレイシアの戦闘特性は超遠距離による魔術でも襲撃だ。彼の魔術の届く距離は国境を大きく超え、攻撃できる範囲数も数千単位になる。故にルートクレイシアは難攻不落だ。魔術師型のユニットは膨大に存在するが、国の境すら越える遠距離攻撃をしてくる魔術師は黒紫の王の中でも彼一人しかいない。この際使用する魔術は『EndOfTheWorld』。確率依存ではなく耐性依存の即死系魔術であり、闇耐性95%、これを満たしていないユニットは即死する」

 黒板に叩きつけるようにしてグレイスが情報を書きなぐる。
 白いチョークの破片が砕け、黒板が大きく揺れる。

 闇耐性95%
 属性耐性は魔術に対してどの程度ダメージを受けるか決定づけるパラメータの一つだ。これが高ければ高いほど魔術によるダメージが小さくなる。
 95%……
 私は抵抗を一瞬忘れて反射的に自分のパラメータを確認した。

「属性耐性はパラメータの中でも一際上げにくい。故に、軍でルートクレイシアを攻めるのは困難……無駄なだけだ。そんな事するくらいなら軍を作る金を一人につぎ込んだ方がまだ見込みがある。だが、彼は『EndOfTheWorld』がなくても強い。異常に強い。わけがわからないくらい強い。資質はともかくメインスキルからすればそれほど強くないようにも見えるがそれでも強い。並大抵のユニットじゃたとえ闇属性の抵抗を完備していても歯が立たない」

「ああ……知ってる。表向きのステータスで何人が騙されたか……大体開示されるスキルが三つっていうシステムがまず糞なんだ」

「故に、もし仮に戦うとしたらこちらもそれなりのユニットを送り込む必要がある!」

 黒板に戦闘指針と書き込まれる。
 頭がまた一度ズキリと痛んだ。

「……送り込むとしたら同じく資質Sクラス以上で固めるしかねーな。……いや、ギルドランキング一位で最強のシステマ、リィン・クラウドあたりをけしかければあるいは――」

 勇者。リィン・クラウド。
 最近知った名前だが、有名な名前だった。

 ギルドのランキング一位にしてリストの一ページ目に記載された唯一のSSSランク。
 その名はもはや神話に近く、冒険者の中でその存在は一種の信仰に達している。

 彼女は私の標的じゃない。まだ生きているのか不明だが、少なくとも世界は彼女を認めている。

 だが、その提案にグレイスは大きく首を横に振った。

「……いや、それは無理だ。君は知らないかもしれないが、彼女はいくら積まれてもシーン・ルートクレイシアとは戦わない。現実ではどうかわからんが、少なくともゲームでは彼女とシーンが戦う事はない。少なくとも僕は見たことがない。彼女は……戦わないんだ。何か嫌な予感がするとか言ってな」

「……なら、けしかけるとしたら二位以下か……だが一位と二位以下じゃ大きく力量に差があったはずだろ?」

 一位が戦わない?
 ランカーは強い。
 ギルドのランキングは対悪魔というその存在意義であるが故にほとんど戦闘能力の序列と一致する。
 故に高ければ高いほど強く、特にリストに載る千位以内ともなると、レベルで言うなら600前後以上であり、単純なレベルでは優っているはずの私でさえ苦労する戦闘技能を持つようになる。

「ああ、それにリィン・クラウドは素で強力な闇抵抗を持っているが二位以下のユニットの闇抵抗は高くない。だからけしかけるなら人ではなく魔族だ。それも闇に強いアンデッドが望ましい……が……」

「……おいおい、確か魔族は高確率でルートクレイシア側に寝返るはずだろ?」

「その通りだ」

 戦闘指針の下には、闇耐性、高レベル(Sランク以上)とだけ書かれている。
 その下に『魔族×』と書いて、グレイスは黒板からテーブルの方に向き直った。

「彼には隙がない。もちろんそれだけが理由じゃないが、ともかく戦うのは得策じゃない」

「そんな事わかってる。あれには勝てねえ。たとえ俺等以外の転生者が束になっても、奴の能力とは相性が悪すぎる。そもそも、本来なら戦う必要すらなかったんだ」

 そこまで言って、フォーゲルがギョロリとこちらに視線を向けた。
 燭台の蝋燭に浮かぶ炎に照らされて見えたその表情は、私に生理的な嫌悪感を感じさせる。
 グレイスは一度ため息をつくと、続けて黒板に消極的対応策と書いた。

「攻撃が現実的ではないなら対応策は限られる。すなわち、逃げるか従属するかだ。この内逃げるという策は無謀に見えて酷く現実的だ。フォーゲル、君もよく知ってるはずだが、シーン・ルートクレイシアは最凶の魔術と最悪の性格を持ってはいるが……」

 グレイスが淡々と言葉を重ねる。
 嫌な予感がした。だが私には止める事ができない。

 そして、その言葉は口から発せられた。

「特殊ユニット『Killing Field』を飼い慣らすことができず、わずか二年で死亡する」

 死亡する。

 物理的な力も魔術的な力も持たないただの声。そう、ただの声だ。ただの声が意味を持って脳内に染みこみ、私の頭の中をぐちゃぐちゃにかき乱した。
 何もわからない。数年で死ぬ。そう、死亡する。決定事項だ。
 そんなこととっくに理解している。


 なぜなら……彼にはもう殆ど生命が残っていないのだから。

「Killing Fieldは特殊ユニットだ。彼女は本来シーン・ルートクレイシアと引き換えに発生するユニットのはずだ。Killing Fieldが開放されている以上、シーン・ルートクレイシアは死亡していなくてはおかしいが、僕の調べた情報だとまだピンピンしている。最悪の矛盾だ。もし仮にシーン・ルートクレイシアがこれ以降死なない場合、僕達にはほとんど為す術がない」

 グレイスがチョークを置き、ゆっくりとした足取りでこちらに向かってくる。
 一歩一歩、まるで夢遊病者のような不安定な歩行。そして、その眼はまるで幽鬼でも見たかのように、見開かれていた。

 グレイスが私の顎を取って、無理やり目と目を合わせさせる。
 行動不能で阻害されている大部分が脚力によるものだ。脚が空気に捕まってうまく踏み込む事ができない。それが行動不能の状態異常なのだ。
 この距離、腕の届くこの距離ならたとえ行動不能がかかっていても首をへし折る事ができる。
 魔術師の肉体は脆弱だ。その事を一流の魔術師であるグレイスが知らないはずがないのに、その眼には、所作には、一片のためらいも見られない。
 薄緑の瞳の向こうで、何か黒いもの蠢いていて、私は初めてこの少年が怖いと思った。
 耳元で囁くように発せられた声が鼓膜を犯し、脳に染み渡ってくる。

「Killing Field、君にもう一度聞かせてもらおう。何で君がこのタイミングで開放されている? 君の役目はシーン・ルートクレイシアを殺すことだったはずだ」

 殺す。
 舌を噛み切る勢いで噛みつけるが、今度は、今度こそは、その情動を止める一助にはならなかった。
 
 心臓の奥で、何か黒いものが鎌首をもたげる。

 殺意がフラッシュバックする。
 凶悪な殺意が。
 忘れたかった殺意が。
 心臓をどくんと強く揺り動かし、まるで炎に焼かれたかのように体中に血流がめぐった。

 私の役目は、殺す事。
 人としての領域を犯したものを完膚なきまでに粉々にし、焼きつくし、塵すらこの世に残さない事。
 それ故に与えられたコードネームは『Killing Field|《殺戮の領域》』
 それこそが私の唯一の役目であり、存在意義であり、力の源
 発生直後の敗北で抜かれた牙、愛玩奴隷などではない私の本当の意味。

 私は、本当に久しぶりに、胃の中がどろどろに溶けるような、本来常に抱いているべき凶悪な殺意を感じていた。

 手をゆっくりと動かし、目の前の少年の首に触れる。

「……?」

「貴方は勘違いしている。私はシーンを殺さない。いや、殺す必要すらない」

 自分の中の殺意が怖かった。だが私は、それよりも本当に恐ろしいものを知っている。
 私程度の殺戮の本能何か足元にも及ばない『本物』を。
 殺意に押し流されそうになる心を『本物』で取り戻す。

 首に当てた掌にゆっくりと力を込めた。

 標的|《シーン・ルートクレイシア》を殺せと囁く本能に真っ向から喧嘩を売る。
 それは、自分の存在意義に対する冒涜だ。
 だけど怖い。怖いものは仕方ないじゃないか。
 人には、自分の存在意義なんてどうでも良くなる事があるものだ。

「彼はどうせ後十数年で死ぬ。だから私が手を下すまでもない」

 それはただの言い訳だった。
 私に彼は殺せない。
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